44年ぶりのメール

QSL

1964年新聞配達のアルバイトをしていた時に知り合ったJim Grubbsファミリー。 そのお宅の屋上には、14MHz帯の八木アンテナが建っていました。私もアマ無線をやっていたので私から声をかけました。そしたら息子さんも無線をやっているので遊びに来て下さい。と言われ、時々日曜日にお邪魔しました。
Jimのコールサインは「K9EIV」で、私は「JA1VMG」でした。
右の写真は、当時のJimからもらったQSLカードです。

英語が未熟な私は、なんとか辞書を片手に無線の話をしたり、CQマガジンを見ながら趣味の話をして楽しみました。その経験で英会話の勉強ができ、外国人と話してもドキドキしなくなりました。

手作りハンバーグが美味しかった

jim

遊びに行くたびに彼の母親がハンバーグをご馳走してくれましたがとても美味しかったです。当時日本にはマクドナルドもなかったしハンバーグを食べることもありませんでしたから。

秋葉原で買い物

ある日、Jimに秋葉原に行きたいから案内して欲しいと頼まれて、彼のおとーさんと3人で車で行きました。確か144MHzか435MHzのレシーバを買って組み立てた記憶があります。当時の秋葉原の小さなパーツ屋さんは珍しく楽しかったようです。 いまは、秋葉原もすっかり様変わりして、ゲームやアニメの街に変身してしまいましたが、まだ小さなパーツ屋はあちこちに残っています。

就職してからは

私は、1967年(昭和42年)高校を卒業して会社に就職しました。仕事やサークル活動で忙しい毎日となりました。PS&Sのバイトを辞めたままPS&SやJimとはそれっきりになりました。

Jimが本国に帰る

jim

1968年7月突然私の自宅にJimの父親が訪れました。その日は府中基地の部屋に泊まって次の日横田基地から本国に帰る予定でした。そこで私は府中基地のホテルを訪れて2年間のブランクを語り合いJimファミリーに別れの挨拶をしました。帰りの途中で出してくれた「サヨナラ」と書かれたホテルの絵葉書が最後となりました。

突然44年ぶりにメールが

Minoru-san, I am wondering if you are the Minoru Saito from Fuchu who I knew as an teenager while I lived in the Kanto Mura Family Housing Area circa 1966-1967. We were both amateur radio operators. Minoru ? JA1VMG, My father was KA2JG and I was K9EIV (now K9EI) The Minoru I knew delivered newspapers for the Stars and Stripes and attended electronic technical high school. We lost touch in 1968. If you are not the Minoru that I knew, please accept my sincere apologies for the intrusion. Regardless, please accept my family’s warmest holiday greetings for you and your family. Regards, Dr. Jim Grubbs Associate Professor of Communication University of Illinois Springfield Springfield, Illinois

翻訳

その後数回のメールのやり取りで困ったことは翻訳でした。そこでYahoo翻訳を使うことをJimに知らせて未熟な英語メールの了解をもらった。 そして、大事な翻訳はキャンベラに住む娘婿のタカヤに頼んだのです。きっと娘夫婦は私の高校生時代のひとコマを知って微笑んだことでしょう。

二人は当時高校生だった(Tomodachi)

jim Mino

左は私で、右がJimです。この写真は別れるときにもらったと記憶しています?
高校生時代の写真ですが、私は1歳年上でした。

思い出のホームページを作ることに

突然Jimからメールをもらってとても嬉しかった。そこで私はWeb制作の仕事もしているので思い出にとホームページを作ることにした。それがこの「Stars and Stripes Newsboy Story」です。まずは日本語版を作って、いずれ英語版を作る予定です。そうすればJimと情報を共有することができますから。

いまの二人

jim-now Mino-now

現在(2012年)は、私が64歳、Jimは63歳になりました。二人とも現役で頑張って仕事をしています。
Jimは博士号を取得し、いまでもイリノイ大学でラジオ放送とコミュニケーションを教えています。また、学生のためにラジオ局をキャンパスに設置しているとか。
私は63歳のとき一人で「ピークル計測」を起業し、自転車レースやマラソン大会のタイム計測をしています。また自宅で地元のために自転車修理やパソコンサポートをしています。

私の習字が

習字

Jimと分かれる時に、私が記念に差し上げた習字スクロールを今でも飾っているそうです。
私が中学2年生の時に書いた習字でした。私はすっかり忘れていたのですが、これをメール添付で届いた時は驚きとともに嬉しかったです。
現在では、パソコンが普及して文字や手紙を書くことが減り、習字を書くこともなくなり、とても懐かしです。
Jimさん、大切にしてくれてありがとうございます。